福岡ソフトバンクホークスで活躍した三重県伊勢市二見町の元プロ野球選手・江川智晃さん(34)が、古里・伊勢で、第二の人生をスタートさせた。
バットを包丁に持ち替え、ユニホームを白衣に着替えて選んだ仕事は豚肉専門の加工・販売。「豚肉を通して、育ててもらった地元への恩返しがしたい」と食卓の笑顔を思い浮かべながら、豚肉を届けている。
19年のシーズン後、熟慮の末、ユニホームを脱いだ。「スコアラーとしてチームを支えてほしい」というチームからの誘いを受けたが、翌20年に新型コロナウイルスが拡大。開幕が約3カ月遅れ、スコアラーの活動も制限された。実家の家族が心配で、まめに連絡を取り合うようになった。
実家は漁網などの製造会社を経営。母幸枝さんは、祖父の代から営む豚肉生産の「一志ピッグファーム」(津市)で社長も務めている。しかし次第に伊勢市から津市まで車で1時間半かけて通う母の体が心配になった。「僕の代わりのスコアラーはいる。でも、両親にとって息子は僕だけ。今こそ恩返しする時」とUターンを決断。21年1月に伊勢に戻った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62602462486dfe94b321c4104baa26c59e68ae01
バットを包丁に持ち替え、ユニホームを白衣に着替えて選んだ仕事は豚肉専門の加工・販売。「豚肉を通して、育ててもらった地元への恩返しがしたい」と食卓の笑顔を思い浮かべながら、豚肉を届けている。
19年のシーズン後、熟慮の末、ユニホームを脱いだ。「スコアラーとしてチームを支えてほしい」というチームからの誘いを受けたが、翌20年に新型コロナウイルスが拡大。開幕が約3カ月遅れ、スコアラーの活動も制限された。実家の家族が心配で、まめに連絡を取り合うようになった。
実家は漁網などの製造会社を経営。母幸枝さんは、祖父の代から営む豚肉生産の「一志ピッグファーム」(津市)で社長も務めている。しかし次第に伊勢市から津市まで車で1時間半かけて通う母の体が心配になった。「僕の代わりのスコアラーはいる。でも、両親にとって息子は僕だけ。今こそ恩返しする時」とUターンを決断。21年1月に伊勢に戻った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62602462486dfe94b321c4104baa26c59e68ae01
【元SBの帝王江川智晃さん、豚肉屋へ転身】の続きを読む